のん監督に必要なのは、
作品の美点を称えられることではなく、次に繋がる厳しい指摘だと思っている。
Ribbon

STORY(Yahoo映画より)
 2020年冬、新型コロナウイルスが流行し、いつか(のん)の通う美術学校では卒業制作展が中止になる。彼女は作品を持ち帰ったもののさまざまな感情が入り乱れて落ち着かず、心配してくれる両親ともけんかしてしまう。妹のまいもウイルスに過剰に反応し、いつもは冷静な親友の平井まで機嫌が悪い。いつかはこのままではいけないと考え始める。

感想
 コロナウィルス感染症の流行は未だに終息する気配がなく、それに加えてヨーロッパでかつて経験したことのない戦争が始まったため、「Ribbon」を観に行くために上京することは、物理的にもモチベーション的にも困難になってしまった。このため映画館での鑑賞を半ば諦めかけていたところ、突如地元の映画館での上映が決まったため、「流石にこれは観に行かないわけにはいかない」と思い、短い上映期間中に都合3回ほど鑑賞した。
 作品に対する個人的な感想は、今から縷々書いていくが、私の住む田舎町でこの映画が上映されたということは、作品の規模を考えれば興行的にそれなりに健闘していることの証なのではないかと思っている。(尤も「Ribbon」を上映した地元の映画館は、「星屑の町」も「8日で死んだ怪獣の12日の物語」も「私をくいとめて」も上映してくれているので、館主が『小さなおらが町にも私のような熱心な のんちゃんファンがそこそこいる』と考えているのかもしれない。)また、ネットなどでの評価には肯定的なものが多い気がするので、まずは、劇場で公開する商業映画の監督として無難なデビューを飾ることができたのではないだろうか。
Ribbon②
 さて、肝心の映画「Ribbon」の中身についてだが、実は私は、元々この映画に対してあまり大きな期待は持っておらず、「もしかしたら、映画としての体を成していないのではないか」とさえ危惧していた。専門の学校で勉強したわけでも、現場で経験を積んだわけでもなく、映画やドラマへの出演数も少ない一介の女優による劇場公開監督第1作が秀作になる可能性は皆無に等しいし、何よりネットで観た習作「オチをつけなんせ」が???の無残なものだったので、最悪例えばキネ旬の星取表でオール★1個になるような代物かもしれないと覚悟していたのだが・・・。
 実際に観た作品は、ちゃんと映画になっていて、それなりに惹かれるところもある作品に仕上がっていた。個人的な好みで言えば、レプロ時代の「ホットロード」や「海月姫」よりも好きだし、あれらの作品よりも良く出来ていたのではないかとさえ思っている。尤もそれは私が中身のない娯楽映画よりも作家性の強い作品を好むためであり、映画「Ribbon」に曲がりなりにも作家性の片鱗を感じたからである。「あまりにも酷い出来だったら、流石に1回でギブアップしよう」と思っていたところ、兎にも角にも3回鑑賞できたのだから、それなりに観られる作品になっていたのである。
 しかし、だからと言って映画「Ribbon」が私が普段見ている作品群から一頭抜きんでた傑作や秀作だったというわけではない。新人監督らしく、足りない点も多く、課題のある作品だったと思っている。作品に対する客観的な評価としては、満点星15個に対して星8個を付けたキネ旬の星取表が一番的を得ているだろう。(尤も評者の人に のんちゃんに対する判官びいきの気持ちがあり、それもあって若干甘めに点数を付けてくれていたのかもしれないが・・。ちなみに「この世界の片隅に」は評者全員星5つの15点満点だった。) 
Ribbon③
 上述したようにネットなどで観客の感想を読むと肯定的なものが多いが、これは、映画「Ribbon」をわざわざ劇場まで観に行く人の中には、当然のことながら のんちゃんのファンが多く、また、ファンとまではいかなくても のんちゃんに対して同情の気持ちや応援の気持ちなどのプラスの感情を持っている人が大半だからだと思っている。と言っても、肝心の作品が箸にも棒にも掛からないような駄作ならば、流石に前向きな感想が主流になることはないだろう。のん監督に対してさして期待を持っていない映画ファンが観ても、「思っていたよりもよく出来ていた」と思えるくらいの作品になっていたからこそ、前向きな意見が
それなりに主流になったのだと思う。
 但し、そうした肯定的なだけの感想、意見ばかりが表に出ることは、のん監督にとってあまりプラスにならないと思っている。欠点のない作品だったわけではないのだから、観た人間がマイナスに感じた部分をきちんと指摘しなければ次に繋がらない。のん監督がこの1作だけで終わってしまうのであればそれでも良いが、「次回作を撮ってもらいたい」という気持ちがあるのであれば、自分が感じた違和感などをきちんと指摘する必要があるだろう。そしてそれは、のんちゃんのファンの中でも、それなりに映画などを観ている人間に求められる責務だと思っている。当然私もその1人になると思っているので、以下そうしたスタンスで感想を書いていくが、多分にネタバレを含むので、まだ作品を観賞していない人は、鑑賞後に読まれることを強くお勧めする。
Ribbon④
  私がこの映画「Ribbon」の欠点として指摘する必要があると感じたのは、脚本の作りの不味さである。脚本は映画の設計図であり、その出来を大きく左右する最重要パーツであるため、その脚本が弱いというか、甘いというか、今1つ、2つだったところが何とも残念だったのだ。後述するように、私はこの作品の個々のシーン、その描写については、なかなか観るべきものがあったと思っている。設計図たる脚本が今一つだったにも関わらず、観る人が前向きな感想を持てたのは、偏にそれぞれのシーンに捨てがたい魅力があったからだろう。それだけに、脚本がもっとしっかりしたものになっていれば、のんちゃんのファンだけでなく、ごく普通の人が観ても思わず唸るような作品になっていたのかもしれない。
 以下、私が映画を観ている間に違和感を覚えた箇所を列挙していく。
 まず、冒頭で大学の幾つかの場所が切り取られて映し出され、そこがアートを学ぶ場所であることや学生がどうにもならない理不尽さの只中にいることが強く印象付けられる。ここまでは良い。次に全身にRibbonを纏った のん扮する浅川いつかがキャンパス内を歩く姿が映し出されるが、まずここが分からなかった。絵としてなかなか魅力的なので、ただそのまま観ているだけでも問題はなかったのだが、冒頭に置かれていたこともあり、それが現実なのか或いは何かの象徴なのかがよく分からず、きっとこの後にこのシーンの種明かし、ないしは解説的な描写があるのだろうと思いながら観ていたが、結局最後までこのシーンに立ち返らせるような具体的な描写はなかった。1回観終わった後の2回目になって漸くこのシーンが現実ではなく、コルナ禍で心の中に溜まった澱のようなものをRibbonに見立て、それを纏ういつかの鬱々とした心象を象徴的に表現したものなのだろうという思いに至った。そうであれば、このシーンはもう少し後、いつかの心の淀みを感じさせる具体的な描写を幾つか重ねた後に挟み込んだ方が、観客がシーンの意図を容易に理解することができ、映画全体の強度を高めることに繋がっただろう。このRibbonを纏って歩くシーンは、映画全体を象徴するものでもあるため、冒頭で出したきりで、そのまま後に繋げないというのは、如何にも勿体ない気がした。
 そこから いつかと平井の会話や公園での若者との出会いのシーンに続くのだが、実はそこまではなかなか良かったと思っている。(Ribbonを纏ったいつかのシーンにしても全体のバランスを崩すほどの強い違和感があったわけではない。)
Ribbon⑥
 私が最初に強い違和感を覚えたのは、いつかの家族が彼女の部屋を訪れるシーンである。
 母親、父親、妹と、とっかえひっかえ様子を見に来るのだが、何れもアンリアルの方に寄りすぎていたため、そこまでのシーンにあった自然さが断ち切られてしまい、「これからこの作品はどこに進んでいくのか」と不安にさせられるようなところがあった。
 この作品が描こうとしているのが、コロナ禍というコントロール不可の厄災がもたらす不安や鬱屈の渦の中で藻掻き苦しむ若者の姿であることは間違いがないと思うが、そうであれば作り手は、それをリアルに自然に繊細に描かなければならない。そうしなければ、観る者がスクリーンに映し出されるものに共感し、寄り添うことが難しくなってしまうのだから・・・。その点において、この家族のシーンは、リアルから離れ過ぎていた。コロナが流行りだしてから2年近くが経つが、最も猛威を振るっていた時期でも、それが怖いからといって、いつかの母親のように全身カッパのようなものを纏って出歩く人を見かけたことはないし、ソーシャルディスタンスを保つために刺股を持って歩く人など当然いない。ギャグのつもりだったとすれば全く面白くなく、うすら寒くなるだけだったし、コロナ禍の風潮をカリカチュアライズする意図があったのだとしたら、幼稚過ぎて到底成功しているとは思えなかった。こうしたシーンが挟まれることによって、コロナ禍の理不尽に戸惑い、怒りを貯める若者の心に寄り添うという作り手の意図がぼやけてしまうため、映画にとってはマイナスとしか思えなかった。(特に父母とのシーン)。
 また、この家族とのやりとりの中では、「母親がいつかの書きかけの絵をゴミだと思って捨ててしまう」という件にも強い違和感を覚えた。映画の主題とも繋がる重要な部分だっただけに、そこに説得力が無かったことは致命的な欠陥だったと思う。普通あの絵をゴミだと思って捨ててしまう人はいない。私は、美的センスがないことを自覚している人間だが、そんな私が見てもあれはれっきとした作品であり、ゴミだとは到底思えない。ましてや、娘を美術大学に進学させた親があの絵をゴミと勘違いして捨ててしまうことなどある筈がない。映画の神は細部に宿ると言われるが、細部どころか直球ど真ん中の主題の部分で観る者に違和感を覚えさせてしまったことは、やはり脚本のミスだと指摘せざるを得ないだろう。
 こういう観ていて違和感を覚えるところは他にもあった。例えば、いつかが公園で出会った中学の同級生の口元からマスクを外させ、その顔を確認しようとするところ。「本当に同級生かどうか確信が持てないためマスクなしの顔を見たい」という思いまでは何とか理解できたとしても、買ってきたデザートを食べさせることによってマスクを外すよう仕向けたのに、何故かその場から立ち去ってしまい、態々物陰から覗き見ようとする いつかの行動は理解できなかった。彼が食べ終わるまで傍にいても全く不自然ではなく、そうすれば無理なく彼の顔を確認することができた筈である。それを意味なく挙動不審な女に仕立てたことによって、この映画が本来あるべきリアルな姿からほんの少しだがズレを生み出していた。
Ribbon⑦
 そうした細部に対する違和感以上に大きな疑問を感じたのが、クライマックスの組み立てである。
 まず、学校側の要請に反して大学に忍び込んで絵を描き続け、そのことで大学を追われるのではないかと怯える平井に対していつかが怒りを爆発させるシーン。正直言って「何これ?」という感じで違和感しかなかったし、観ていて不愉快な気持ちにさえなった。絵を描きたくて入った大学の集大成ともいうべき卒業制作の絵を描けなくなり、どうにもこうにも我慢できなくなって、夜大学に忍び込み絵を描き続けていた平井。ここは「お前だけ抜け駆けしてんじゃねーよ!」的に怒るのではなく、コロナ禍の美大生の心情を体現した平井の心に寄り添うべきだった。(私は、平井の告白を聞いて、平井が夜大学で1人キャンバスに向き合う姿を想像し、そのシーンを観たいと思った。それがあれば、きっと良い絵になった筈である。)もしも、どうしても怒りを爆発させるのであれば、そこに至るまでのいつかの心理を、観客が自然に納得できるようにもう少し合理的に組み立てるべきだった。この見当違いの怒りの爆発は、この映画の最大の欠点だったと思っている。
 次に、就職の内定取り消しから自分の作品を捨てるまでの短いシーンも消化不良だった。そもそも内定の話は、父親との会話の段階では「まだ決まっていない」だったものが、平井との会話の中でいつかが「自分は内定が決まっている」と言ったことから、
観る者は、そこで初めていつかの内定が決まっていたことを知ることになる。しかし、この間映画の中では就職内定について全く触れられていなかったため、急に内定取り消しのシーンが挟まれても、(それが学生にとって一般的にショックなことであることは想像できるが)あまりにも取って付けた感が強く、いつかの落胆(自分が描いた絵を捨ててしまうほどの落胆)を上手く理解することができなかった。アンリアルな家族とのエピソードを少なくし、その分を就職や内定に関するエピソードに振り向けておけば、ここでいつかの気持ちにもっと自然に寄り添うことができたかもしれない。
 また、平井がいつかの家を訪ね、「大学に残してきた絵を何とかして欲しい」と頼む件にも説得力がなかった。平井のキャラクターが描き込まれていなかったため、そうした弱音を吐く姿に違和感を覚えたし、そんな平井に対して上から目線の いつかのスタンスも観ていて気持ちの良いものではなかった。これらのシーンは、2人で夜の大学に忍び込み、絵を壊して持ち帰るという、この映画のクライマックスに向けた助走とも言える大事な部分だっただけに、そこまでに幾つもの難があり、ごたついたことによってクライマックスに向けた勢いが削がれしまったことは非常に残念だった。
 まだ他にもそうしたところはあるかもしれないが、縷々書いてきたとおり、この映画は、脚本の細部や組み立てが精緻でなかったため、作品としての完成度が落ちてしまっていたのである。
Ribbon⑧
 このようにこの映画には、脚本に大きな欠点があったのだが、それでも映画全体の印象がそんなに悪くならなかったのは、偏に描写の力、1つ1つのシーンにそれなりに力があったからなのではないかと考えている。
 上述したとおり、冒頭で美術大学の校内の様子が映し出されたが、その絵からは、作り手の作品に対する意思(伝えたい思いの欠片)のようなものが感じられたし、Ribbonを纏ったいつかが校内を移ろう画も、置き場所はともかく、単純に1つのカットとして魅力があった。続く緩い坂の途中でのいつかと平井の会話のシーンは、好き嫌いの分かれるところかもしれないが、作り手のこの構図で撮りたいという強い思いが伝わってきたし、平たい場所で普通に真正面から撮るよりも、観る者が2人が置かれた心許ない現状に感情移入しやすくなるという点で意味があったと思う。また、同級生の男との公園でのやり取りを映すナチュラルなキャメラは、渡辺大知の好演とも相まって穏やかな雰囲気の醸成に成功していた。このように最初のシーンからだけでも分かるとおり、この映画は、全体的に撮影が良かった。私は、撮影の彦坂みさきという人を知らないが、監督の意図を汲み取った良い仕事をしてくれていたと思う。1つ1つのシーンが魅力的なものになったのは、この撮影の力に負うところが大きかった。
 劇半も良かった。のん監督の盟友ひぐちけいが創り出した音楽は、主人公の心にそっと寄り添うものや監督が目指すシーンの雰囲気の醸成をアシストするものなど、見るべき(聴くべき?)ところのあるものが多く、初めての劇半というプレッシャーに負けることなく、立派に責任を果たしていた。音楽が悪くなかったこともシーンが力を持てたことの一因と言えるだろう。
 樋口真嗣による特撮も、私は嫌いではなかった。1つ1つが何を意味しているのかまでは分からなかったが、観ていて単純に綺麗だったし、面白かった。特撮がシーンの雰囲気を壊すことなく、主人公やシーン自体に寄り添っているように感じられたため、その奥床しさに好感を持つことができたし、撮影や音楽と合わせてシーンの雰囲気作りに力を発揮していたとも思っている。
 役者の演技に関しては、特に若手の3人(山下リオ、小野花梨、渡辺大知)が良かった。私は、演技のできる役者をキャスティングするのも監督の力だと考えているので、その意味で のん監督のキャスティングセンスは、良かったと思っている。(尤もベテランの2人については、脚本に無理があったこともあり、この映画のテイストと合っていないように感じられたが・・。)
Ribbon⑨
 まず、山下リオ。私が朝ドラ「あまちゃん」を観ていた時、特にその演技に心惹かれた若手女優は、橋本愛、松岡茉優、山下リオの三人だったが、その後女優として最も力を付けたのは、山下リオなのではないかと思っている。
「あまちゃん」の頃からセンスのある人だと思っていたが、彼女は、濱口竜介の「寝ても覚めても」や河瀨直実の「朝が来る」、岨手由貴子の「あのこは貴族」などの気鋭の監督の注目作で立て続けに魅力的な演技を披露しており、名バイプレーヤーとして一目置かれる存在になりつつある。のん監督が「あまちゃん」由来の女優の中から彼女を選んだのは正に慧眼で、山下リオは、その期待に応える実力を感じさせる演技を見せていた。
 小野花梨も力のある女優だと思った。無理のある出だしの部分でも、綻びが出ないように懸命に演技をしていたし、特に中盤以降は、その自然なリアクションによってそれぞれのシーンをしっかりと支える存在になっていた。私は、今回の作品を観るまで彼女のことを意識したことがなかったが、多くの作品に出演することによって身に着けた確かな演技のできる女優だという印象を持った。
 彼女達の優れた演技も各シーンが力を持てた要因の1つだが、経験に裏付けられた高い技量の演技は、諸刃の剣にもなる。演技経験の少ない主演の のんとの会話で、微妙に技量の差を感じさせられるところが散見されたのだ。主役の のんにもう少し経験に裏打ちされた確かな実力があれば、演技巧者の2人とのやり取りが自然で、リアルで、魅力的なものとなり、さらにシーンに力が漲ったと思うのだが・・・。こればかりは、女優のんのこれからの頑張りに期待するしかない。(私は、何事も
本物になるためには、根拠のない自信ではなく、努力や経験に裏付けられた実力が必要だと考えている。それは、全ての仕事に通じる真理である。)
 この2人の女優以上に良かったのが、黒猫チェルシーの渡辺大知。私は、幾つかの映画でこの人を観ているが、これまでその演技を良いと思ったことは一度もなかった。それがこの映画で初めて「なかなか良いなあ」と思ったのである。役柄自体が好感度の高いものだったからなのかもしれないが、肩に力の入らない自然な演技で、穏やかなシーンの雰囲気を決定づける重要なパーツになっていた。バリバリの役者ではない分、主演の のんとの相性が良く、そこも彼がこの作品で力を発揮できた要因の1つなのかもしれない。
  このように撮影や音楽、特撮、役者の演技など、シーンを構成する個々のパーツに見るべきものがあり、それらが組み合わさって生まれるハーモニーにも問題がなかったため、各シーンが力を持つこととなり、その結果観る者に悪い印象を与えなかったというのが私の見立てである。
Ribbondd⑩
 返す返すも残念なのは脚本である。のん監督は、卒展が無くなったことに対してやり切れない思いを持つ美大生の声を聞いたことが、映画製作の動機だったと言っていたが、であればもっと徹底的にリサーチを行い、美大生の様々な思いを掬い取った上で、それを上手に脚本に盛り込むべきだった。
 コロナ禍を舞台にした映画としては、既に昨年「茜色に焼かれる」という傑作が生まれているが、コロナ禍によって学生達が抱えることになった様々な思いをもう少しリアル且つセンシティブに脚本に盛り込んでいれば、「茜色に焼かれる」とまではいかなくても、同じコロナの時代を生きる者がもっと切実に共感できる作品になったと思うのだが・・・。  

 令和4年3月19日(土) 東映シネマ 75点

🌟 のんちゃんに関する小さな部屋 
  お休みします。