戦争に飲み込まれ、数奇な半生を送ることになった小野田寛郎を描いた世にも不思議な物語
ONODA

STORY(YAHOO映画より)
 
太平洋戦争末期の1944年。特殊訓練を受けていた小野田寛郎に、ある命令が下る。それはフィリピン・ルバング島で援軍部隊が到着するまでゲリラ戦を指揮せよというものだった。出発前に上官の谷口(イッセー尾形)から「君たちには、死ぬ権利はない」と言い渡された小野田は、その言葉を守って終戦後もジャングルで身をひそめていた。やがてそんな彼の存在を知った旅行者の青年が、ルバング島の山奥に赴く。

感想
 少し前のブログで取り上げたMINAMATAに続き、またもや外国人の監督が撮った日本人を主役にした映画を観ることになった。しかも、これもMINAMATA同様、私の小学生時代の記憶に繋がる、世代的に非常に興味をそそられる作品だった。
 多分、私より少し下の世代の人は、小野田寛郎と言ってもあまりピンと来ないのではないだろうか。ただ、私はギリギリ彼が帰還した時のマスコミの騒ぎを覚えている。尤もまだ小学生だったので、ことの本質をきちんと理解できていたわけではない。それでも、戦争が終わってから何十年もの時が経ち、既に日本が戦争とは無縁の平和で自由な社会になっているにも関わらず、そのことを知らずにまだ戦争は終わっていないと信じ、フィリピンのジャングルで戦い続けていた日本人がいたという事実は、子供心にも信じられないほど不思議で悲しい出来事のように思えた。但し、その数年前に同じように横田庄一氏がグァム島で発見され、恥ずかしながら帰ってきていたので、衝撃ということで言えばその時程ではなかったが・・・。
ONODA②
 映画は、小野田寛郎が軍の特殊訓練を受け、やがてフィリピンのルパング島に派遣されて部隊の指揮を執るが、
1945年8月の終戦以降も日本が負けたことを知らず(信じず?)、
任務も解かれなかったため、そのまま数名の部下と共に島でゲリラ戦を行いながら生き延び、1974年に発見されて日本に戻るまでが描かれていたが、映画全体を通して私の心に1番強く残ったのは、洗脳の恐ろしさである。小野田は、諜報活動を主務とする特別な軍事教練を受けていたため(陸軍中野学校?)、何としても生き延びて戦争を遂行することを使命と信じ、そのため戦争が終わった後も傍からは滑稽に見えるゲリラ戦を続けるのだが、戦争終結後に日本語のラジオ放送を聴いても、流れてくる情報を自分達が信じたいと思っている内容に強引に曲解し、事実に辿り着けないでいる様は、まずは滑稽に見え、それから何とも物悲しい存在に思え、最後には、その背後にそんな人間を生み出してしまう社会や教育があることに思いが至り、その恐ろしさに背筋がぞっとしたのである。そして、そんな小野田の姿を見るにつけ、何事に対しても疑問を持ち、鵜呑みにしないこと、時には自分自身の考えについてさえ、それが本当に正しいかどうかを謙虚に自問自答することが如何に大切なことかを改めて考えさせられた。何故ならそれは、何も小野田が生きた時代だけに限ったことではないのだから。ネットの世界を跋扈するフェイクニュースを信じ込み、ホワイトハウスに乱入する者が現れ、その事件の後でもなお現実を直視できないネット民が日本にも多数いることを考えると、今も小野田のような人間が生まれる可能性は十分にあると言わざるを得ない。そうしたことへの警鐘として、この映画は重要な意味を持つと思っている。
 もう1つ、戦争の恐ろしさについても、この作品は痛烈な問い掛けを行っていた。今の右寄りな人間の中には、日本人が戦時中民間人に対して残虐な行為を行った事実などないと信じ込む者もいるようだが、この映画の小野田は、終戦後も戦争継続中と信じ込み、自分達の目的遂行のために現地の民間人の命を容赦なく奪っている。僅か数人の小野田達でさえこんな有様なのだから、それが何千、何万と集まったらどれだけ惨いことが行われるのかと想像するだけで暗澹たる気持ちになった。この映画は、戦争に対する認識の薄い今の日本人の虚妄に否を突きつけたという意味でも大いに観る価値のある映画だと思う。
ONODA③
 私も戦争を知らない世代だが、幼少時に戦争を経験した父の世代の人間が少なくなる中、戦争の一面をリアルに切り取ったこういう映画は、とても貴重だと思う。この作品は外国資本だったが、日本映画の中からもこうした観る者に様々なことを考えさせる戦争をテーマにした映画が生まれなければならないと思っている。 

 令和3年10月8日(金) イオンシネマ 78点

🌟 のんちゃんに関する小さな部屋 (舞台への思い④)
 
前回に続き、「のんちゃんにはこんな芝居に出演して欲しい」という、個人的な夢をつらつらと書いていきます。ハッキリ言って、こういった妄想にも近い個人的な願いを無責任に書いていくのはとても楽しく、幾らでも書けそうな気がします。それくらい のんちゃんに演じてもらいたい役、挑戦すれば必ず大きなプラスになると思われる芝居が沢山あるのです。その全てとは言いませんが、1つか2つくらいは叶わないものかと本気で思っています。
愛が世界を救います
 さて、のんちゃんは喜劇(コメディー)に強い関心があるようですが、だからこそ前回挙げた三谷幸喜氏や井上ひさし氏が書いた芝居への出演が望まれます。一口に喜劇と言っても多種多様で幅が広いので、宮藤官九郎氏とはまた違った感性で書かれた喜劇に出演することが のんちゃんにとって重要だと思うからです。
 そこで、コメディエンヌとしてのスキルアップを考えるのであれば、三谷幸喜氏が手本とし、神のように崇めているニール・サイモンの芝居にも出演してもらいたい。実は のんちゃんがレプロで干されていた時に、ニール・サイモンの戯曲「映画に出たい!」を読んで勉強しているという記事が雑誌に掲載されたため、私はその作品チョイスのセンスの良さに感心すると共に、いつか のんちゃんが出演する
「映画に出たい!」を観てみたいと思うようになりました。私は舞台版の「映画に出たい!」は観たことがありませんが、この作品は映画化されているため(邦題「私は女優志願」)、そちらの方は観たことがあります。離れて暮らす映画プロデューサーの父と女優志願の娘の親子愛を描いた作品で、当時の のんちゃんが演ずるのにピッタリの役柄だった(推定年齢10代後半から20代前半)と思います。残念ながら今は役柄の年齢を大分過ぎてしまいましたが、のんちゃんなら不自然にならずにこの役を演じることができると思っています。折角不遇の時代に勉強していた芝居なのだから、何とかして実現させてあげたい。それは、そういう本を読ませ勉強させた、のんちゃんを支える人間の責務であるとも思っています。
 サイモンの作品の中には、この他にもう1ついつか のんちゃんに演じてもらいたいと思っている芝居があります。それは、先に映画が公開された「グッバイガール」で、映画の評判が良かったため、後にブロードウェイでミュージカル化されました。いつも男に振られてばかりいる子連れの女が逃げた男に代わって部屋に居座ることになった売れない役者と恋に落ちるという話で、映画では、女の役をニール・サイモンの妻のマーシャ・メイスンが、売れない役者の役をリチャード・ドレイフエスが演じていましたが、観終わった後、幸せな気持ちで一杯になる最高の作品でした。のんちゃんがこの役を演じるには、まだもう少し時間が必要ですが、いつかそういう年齢になったら、是非ヒロインを演じてもらいたい。良い演出家に付きさえすれば、必ず賞レースにノミネートされるくらい魅力的な作品、素晴らしい演技になると思っています。
愛が世界を救います③
 ニール・サイモンの芝居は、三谷幸喜氏が2度舞台化しているので、三谷氏が3度目の演出に挑戦する時の芝居に出演することができれば、こんなに嬉しいことはありません。また、日本の翻訳喜劇の第一人者である加藤健一氏が主宰する加藤健一事務所も
ニール・サイモンの芝居を何本も上演しています。もしも、加藤氏と舞台で共演できれば、女優としてとても多くのことを学べると思うのですが、何とかして誰かがそこら辺の道筋を付けてくれないものでしょうか(続く)  

※ 赤ポチさんは、私が以前ヤプログでブログを始めた頃(映画「ホットロード」公開の少
 し
前)からの のん友で、一貫してのんちゃん(旧芸名は本名の能年玲奈さん)のことを真摯
 に応援
してくれている誠実な方です。こちらがヤプログ閉鎖後の赤ポチさんのしいブロ
 グドンキです。のんちゃんのファンの方は是非訪問してみて下さい。