志の高い映画だと思うが、ストーリーが少し弱かった・・・。
アジアの天使

STORY(YAHOO映画より)
 妻に先立たれ、男手ひとつで一人息子の学を育てている青木剛(池松壮亮)は、疎遠だった兄(オダギリジョー)が暮らすソウルに移る。韓国で仕事があると聞かされていたものの、実際には兄は経済的に困窮しており、剛は怪しい化粧品の輸入販売を手伝うことに。一方、そのソウルでタレントとして活動するチェ・ソル(チェ・ヒソ)は、所属事務所の社長と関係を持ちながら自身をとりまく環境や兄妹との関係に悩みを抱えていた。 

感想
  この映画の監督の石井裕也は、私がその才能を高く評価し、新作を心待ちにしている人である。但し、彼の作品は質に若干のバラツキがあり、必ずしも全ての作品が飛び抜けて優れていたと思っているわけではない。私のお気に入りは、「舟を編む」「夜空はいつでも最高密度の青色だ」「茜色に焼かれる」の3本で、反対にそれなりにきちんと作られてはいたが、あまり心を打たれなかった作品が「川の底からこんにちは」「バンクーバーの朝日」「ぼくたちの家族」になる。そうした玉石混淆の作品の中でも最近鑑賞した「茜色に焼かれる」は、コロナウィルス感染症という新たな疫病が猛威を振るう現在を舞台にしながら、最初に厄災の犠牲になるのが常に弱者であることを分かりやすく、生々しく描いていたため、最も心を強く揺さぶられる作品になった。
 そんな力強い作品を撮る石井監督が韓国でオールロケし、韓国人の役者を何人も使って作ったワールドワイドな新作なのだから「これは面白いに違いない」と期待値マックスで観に行ったのがこの映画だった。しかし、残念ながら余りにも期待が大きすぎたためか、決してつまらなくはなかったが、最後まで心を揺さぶられることはなかった。
舟を編む夜空はいつも最高密度の青色だ茜色に焼かれる
 この映画にあまり心を打たれなかったのは、何よりストーリーが弱かったからではないかと思っている。子連れで韓国に渡った親子とその兄が偶然一緒に旅をすることになった韓国人兄妹と次第に心を通わせる姿を描いた映画だったが、ストーリーにリアリティーを感じさせないところが散見されたため、今ひとつ話に乗れなかったのだ。
 まず、物語のベースになる部分、兄からの誘いを頼りにはるばる韓国を訪れる幼い子供連れの親子という設定に無理があり過ぎた。色々な思いはあったと思うが、幼い子を連れて母国を離れるのには、相当な理由があってしかるべきである。しかし、その理由が何となく推測させる程度でハッキリと描かれていなかったため、その先の話に上手く乗っかることができなかったのだ。加えて、兄のキャラクターがいい加減過ぎて、これまでよく海外でやって来れたものだと呆れたし、子供の頃に一緒に暮らしていた兄弟ならば、そんな兄の性格は分かり切っている筈だと、なおさら親子の韓国行のリアリティーに疑問符が付くのだった。
 また、韓国人兄妹と行動を共にすることになった成り行きや道行の過程についてもあまり説得力がなく、場当たり的でご都合主義なところが目立つ気がした。その成り行きをもっとしっかりとしたものとし、互いの距離を縮めていく過程についても、緻密に計算し、観る者が十分に納得できるような組立にしていれば、石井監督が描きたかったであろうもの、「人の心の中には、国籍や言語を超えて共有できるものがある。そこは、日本人も韓国人も関係ない。」という思いがもっとハッキリと観客に伝わったと思う。小田切ジョー、池松壮亮という演技力のある役者を起用していたのだから、もう少しストーリーを上手に組み立てていさえすれば、彼らの演技が説得力のあるものとなり、映画の中で監督の思いが真実の輝きを持って浮かび上がったと思うのだが・・・。
アジアの天使③
 コロナ禍で映画を撮ること自体のハードルが上がっている今、そして日韓関係がかつてないほどギクシャクしているこの時に、韓国を舞台に日韓のキャスト、スタッフが力を合わせ、国境を越える作品を作った意義は大きく、非常に志の高い映画だということができる。それだけにもう少し丁寧に撮って欲しかった。そのことがとても残念である。

 令和3年7月17日(土) テアトル新宿 80点


🌟 のんちゃんに関する小さな部屋 (映画監督という仕事について①) 
 『愛が世界を救います(ただし屁が出ます)』の公演までまだ少し時間があるので、今回は、のんちゃんが映画「RIBBON」を監督することにちなんで、映画監督という仕事について考えたいと思います。
 本音を言わせてもらうと、のんちゃんが映画を監督することについては、期待よりも不安の方が大きいです。それは、こうしたブログを書いているくらいなので、私が映画について他の人よりも多少知識があり、映画監督という仕事が非常に厳しく、難しいものであることを知っているからです。(だからこそ、最もリスペクトに値する仕事でもあるのですが・・・)

 映画は、多くのスタッフやキャストが力を合わせて作り上げるものですが、そのトップに立ち、全体をコントロールするのが映画監督です。そういう立場の仕事なので、映画監督にはまず人を動かす力が必要になります。そして、人を動かすためには、自分が作りたいものを明確にイメージし、それをできるだけ完全な形でスタッフやキャストに伝え、理解し、共感してもらわなければなりません。それがないと作り手1人1人の心がバラバラになり、ただ脚本に書いてあることを機械的に並べただけの、中身がスカスカの作品になってしまいます。
 そのため映画監督は、厳しい言葉で叱咤したり、反対に役者が自然に演技できるように現場の空気を柔らかくすることに腐心したり、それぞれ自分の個性に合ったやり方でその難事業にトライしているのです。ただ、最終的には、監督への信頼感が人を動かす力になるのでしょう。どんなに厳しいことを言われても、その監督を信頼することができれば、人は付いていくものなのです。
 黒澤明や溝口健二は、仕事に対して非常に厳しいことで有名ですが、それでも多くの役者やスタッフが付いて行くのは、映画作りに対する監督の才能やその人間性を信頼しているからなのでしょう。しかし、「影武者」の時の勝新太郎事件のように、天下の黒澤明でも人心を掌握できないこともあります。それくらい、映画監督という仕事は難しいものなのです。
RIBBON①
 では、のん監督はどうなのでしょうか。もともと のんちゃんは、他人に自分の考えを伝えることが苦手そうだし、何より人の好さそうなところが心配になります。実は、映画監督という仕事は、自分が思い描いたものを作り上げるために相手に相当な無理も言わなければならない、精神的なタフさを求められる仕事でもあるのです。
 のんちゃのファンは皆知っているとおり、のんちゃんはアーティストとしては特別な才能を持っています。と同時に
のんちゃんは、ファンに対しても仕事の関係者に対しても常に誠実に接する人です。
基本個で活動する女優やアーティストであればそれで十分なのですが、そうした人柄の良さが、監督という仕事では反対にハンデイになるのではないかと心配しています。自分が作りたいものを作るためには、妥協することなく、相手から疎まれても自分の考えを押し通す。のんちゃんにそういう強引さを求めるのは酷な気がするのです。
 尤も作品を観てもいないうちからいらぬ心配をしても仕方がないのですが、どうも のんちゃんのことになると、身内のことを心配するような気持ちになってしまいます。本当はそれよりも、まずは のんちゃんの撮った映画が商業映画として映画館での上映に十分耐えられる作品になっていることを願うべきなのでしょう。
RIBBON②
 のんちゃんがこれからも映画を撮り続けることになるかどうかは分かりません。映画製作には、多くの人間が関わるし、何より普通は相当な費用がかかります。だから、たとえ本人が望んでもそれが叶うとは限らないのです。
 ただ、映画監督がとても厳しい仕事である分、映画の出来は兎も角、それによって のんちゃんが人として大きく成長したであろうことは確かです。そして、それは何より のんちゃんが女優をやっていく上で大きな財産になるだろうと思っています。


※ 赤ポチさんは、私が以前ヤプログでブログを始めた頃(映画「ホットロード」公開の少
 し
前)からの のん友で、一貫してのんちゃん(旧芸名は本名の能年玲奈さん)のことを真摯
 に応援
してくれている誠実な方です。こちらがヤプログ閉鎖後の赤ポチさんのしいブロ

 グドンキです。のんちゃんのファンの方は是非訪問してみて下さい。